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香港三越閉鎖
2006.9.17. 唯一残っていた香港の日系百貨店・三越が閉鎖されました。

朝日新聞の記事
日経新聞の記事

小学校時代を中心に9年を過ごした香港。しかも銅鑼湾(コーズウェイベイ Causeway Bay)の百徳新街 (Peterson St の当て字) に住んでいた僕にとって、日系デパートは切っても切り離せない思い出だ。

当初は松坂屋と大丸しかなかった。

その頃、大丸は当時最も日本食材を豊富に扱う店だった。松坂屋の地下にも「大和 (ヤマト?)」という名前の小さい日本食材店があった。ちなみに同級生のお父さんがやっていたんだけど(^^ゞ。香港じゅうの日本人が、銅鑼湾に来たものだった。ただ、香港人にまで浸透していたかどうかは、分からない。

転機は大丸の新館が完成した時だろう。忘れもしない 1982年。小学校5年生のとき。烏渓沙(ウーカイサー)への臨海学校に行っている最中に、大丸新館はオープンした。日本の皆さんには当たり前に思われるかもしれないが、香港で初めて「対面式精肉売り場(ショーウィンドウ越しの量り売り)」が誕生したのはここ大丸新館だった。

「日本のデパートではどこもこうやって売ってくれるのよ」と母親に教えられた。その顔は満面の笑みだったのを、よーく覚えている。この時のカルチャーショックったらなかったなぁ。すげぇ! また一つ「日本」が香港にやってきた! ってね。

その後、三越が完成。そごう(崇光)が完成。大丸・松坂屋を含めた銅鑼湾日本デパート地帯は、香港じゅうの香港人を集めることになった。現地のヒトにも完全に受け入れられている印象だった。

ただしその頃から、銅鑼湾の、いやさ香港の Shopping の中心だった百徳新街の地盤沈下が始まる。主役は大丸・松坂屋から、三越・そごう に移った。追い討ちをかけるように、三越・そごう の地下に地下鉄の駅が完成。大丸・松坂屋の衰退は目を覆わんばかり。百徳新街の地盤沈下を横目に、帰国するタイミングとなった。

その後、大丸・松坂屋ともに閉店したと聞く。そりゃーそうだろう。Times Squeare をはじめ、銅鑼湾の中心地は完全に軒尼詩道(Hennessy Road)の向こうに移っちゃったんだから。そごう も経営難から香港資本に売却。唯一残っていた三越も、昨日、閉鎖に追い込まれた。再開発でビルを建て直すためだそうだ。その後、そのビルあるいはその近辺で再進出したい意向のようだが・・。

1997年の香港返還。それも大きな事件に違いない。だけど、日系デパートの完全撤退というニュースは、香港に対する日本の影響力の終焉という気がしてならない。「1997」と同じぐらい、重い気がする。
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【2006/09/18 12:59】 Blog | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
衝撃的なニュースだよね!私の日記に書こうと思ってたー!香港に住んだことのない人が読んだら「だから??」みたいなネタかもしれないけど、私たちにとってはなんだか感慨深いものがあるよね。

三越がオープンした時に、日本式のパン屋さんができて、おいしいドーナツや食パンを食べられて感動したのを思い出すわー。なんだかさみしいね。
【2006/09/19 13:02】 URL | ぽこ #-[ 編集] | page top↑
あ、やっぱりそうなんだ。三越といえばパンなんだ! 記憶は正しかった。このブログ書いてる時、ずーっとパンが、パンが・・・って気になってたんだけど、詳細を思い出せなかった。
【2006/09/19 23:43】 URL | マサトシ #-[ 編集] | page top↑
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